
今年も世界環境デーの6月がやってきた。
これは、1972年(昭和47年)6月5日から2週間ストックホルムで開催された国連人間環境会議を機に、毎年6月5日からの1週間を「世界環境週間」とす日本の提唱が実ったものである。そして、国連も特に毎年6月5日を「世界環境デー」と定め、「かけがえのない地球」の環境保全を世界中が再認識し行動することを奨励した。
だが、現実はどうか? 残念ながらと言うか相変わらずというか益々といおうか、モノとカネの格差や人種と宗教の差別や対立による闘争は、ニューヨークの同時多発自爆テロを筆頭にイスラム教対キリスト教の血なまぐさい事件まで引き起こしとどまる気配もない。
そこに現れた「正義の味方」を自称するドンが、$と腕力にモノを言わせて国連の猛反対も聞かないで、日頃気に喰わないアラブのドンが「大量破壊兵器を使うかも知れない」と言う理由をつけ、それこそケタ違いの大量破壊兵器でやっつけてしまった。だが、侵略行為を正当化してきた「大量破壊兵器の阻止」という根拠が未だに見つからず、もともと無かったらしいというほどの「無頼さ」だ。
どうやら他人のフトコロや地位をねたみ、やっつけたくなるのは人間の本性かもしれない。だから、耳も口も無いウイルスや化学物質の微分子たちが創造主の意思に背いた人間界の大混乱をあざ嗤いながら、降って湧いたかのように雪崩れ込んできたHIVやSARSたちや環境ホルモンなど・・・・。
思考を再び1970年代に戻して、昨日よりも今日、今日よりも明日はもっと便利でいい時代が来るとバラ色の夢を見ながら、環境汚染と自然破壊と引き替えに使い捨てに走った時代を思い出してみよう。そして、当時すでに宇宙船地球号上の人類社会の「成長の限界」を感じて危機を印象づけブレーキを踏んだ、ローマクラブ諸賢人たちの意思を守りぬきたい。
人 間 環 境 宣 言 Declaration of the United Nations Conference of the Human Environment 1972年6月16日 国連人間環境会議 採択 国連人間環境会議は1972年6月5日から16日までストックホルムで開催され、人間環境の 保全と向上に関し、世界の人々を励まし、導くため共通の見解と原則が必要であると考え、以 下のとおり宣言する。 一 人は環境の創造物であると同時に、環境の形成者である。環境は人間の生存を支えると ともに、知的、道徳的、社会的、精神的な成長の機会を与えている。地球上での人類の苦難に みちた長い進化の過程で、人は、科学技術の加速度的な進歩により、自らの環境を無数の方 法と前例のない規模で変化させる力を得る段階に達した。自然のままの環境と人によつて作 られた環境は、ともに人間の福祉、基本的人権ひいては、生存権そのものの享受のため基本 的に不可欠である。 二 人間環境を保護し、改善することは、世界中の人々の福祉と経済発展に影響を及ぼす主 要な課題である。これは、全世界の人々が緊急に望むところであり、すべての政府の義務で ある。 三 人は、たえず経験を生かし、発見、発明、創造および進歩を続けなければならない。今日 四囲の環境を変化させる人間の力は、賢明に用いるならば、すべての人々に開発の恩恵と生 活の質を向上させる機会をもたらすことができる。誤って、また不注意に用いるならば、同じ力 は、人間と人間環境に対しはかり知れない害をもたらすことにもなる。われわれは地球上の多 くの地域において、人によつてつくられた害が増大しつつあることを知つている。その害とは、 水、大気、地球、および生物の危険なレベルに達した汚染、生物環境の生態学的均衡に対す る重大かつ望ましくない撹乱、かけがいのない資源の破壊と枯渇および人によつてつくられた 環境、とくに生活環境、労働環境における人間の肉体的、精神的、社会的健康に害を与える甚 だしい欠陥である。 四 開発途上国では、環境問題の大部分が低開発から生じている。何百万の人々が十分な食 物、衣服、住居、教育、健康、衛生を欠く状態で、人間らしい生活を維持する最低水準をはるか に下回る生活を続けている。このため開発途上国は、開発の優先順位と環境の保全、改善の 必要性を念頭において、その努力を開発に向けなければならない。同じ目的のため先進工業 国は、自らと開発途上国との間の格差を縮めるよう努めなければならない。先進工業国では、 環境問題は一般に工業化および技術開発に関連している。 五 人口の自然増加は、たえず環境の保全に対し問題を提起しており、この問題を解決するた め、適切な政策と措置が十分に講じられなければならない。万物の中で、人間は最も貴重なも のである。社会の進歩を推し進め、社会の富を創り出し、科学技術を発展させ、労働の努力を 通じて人間環境をつねに変えてゆくのは人間そのものである。社会の発達、生産および科学 技術の進歩とともに、環境を改善する人間の能力は日に日に向上する。 六 われわれは歴史の転回点に到達した。いまやわれわれは世界中で、環境への影響に一 層の思慮深い注意を払ながら、行動をしなければならない。無知、無関心であるならば、われ われは、われわれの生命と福祉が依存する地球上の環境に対し、重大かつ取り返しのつかな い害を与えることになる。逆に十分な知識と賢明な行動をもつてするならば、われわれは、わ れわれ自身と子孫のため、人類の必要と希望にそつた環境で、より良い生活を達成することが できる。環境の質の向上と良い生活の創造のための展望は広く開けている。 いま必要なものは、熱烈ではあるが冷静な精神と、強烈ではあるが秩序だつた作業である。 自然の世界で自由を確保するためには、自然と協調して、より良い環境をつくるため知識を活 用しなければならない。現在および将来の世代のために人間環境を擁護し向上させることは、 人類にとつて至上の目標、すなわち平和と、世界的な経済社会発展の基本的かつ確立した目 標と相並び、かつ調和を保つて追求されるべき目標となつた。 七 この環境上の目標を達成するためには、市民および社会、企業および団体が、すべてのレ ベルで責任を引き受け共通な努力を公平に分担することが必要である。あらゆる階層の個人 も多くの分野の組織体も、それぞれの行動の質と量によつて、将来の世界の環境を形成するこ とになろう。地方自治体および国の政府は、その管轄の範囲内で大規模な環境政策とその実 施に関し最大の責任を負うことになる。この分野で開発途上国が責任を遂行するのを助けるた め、財源調達の国際協力も必要とされる。一層複雑化する環境問題は、その範囲において地 域的または全地球的なものであり、また共通の国際的領域に影響を及ぼすものであるので、共 に利益のため国家間の広範囲な協力と国際機関による行動が必要となるであろう。国連人間 環境会議は、各国政府と国民に対し、人類とその子孫のため、人間環境の保全と改善を目指 して、共通の努力をすることを要請する。 |
ちょっと古びたデジカメを手にぶらり歩きもまた楽しいもの。うつろいやすい世間のカゲの道すがらに、 思わず目を合わせたモノたちとの会話も、ナチュラリストのぜいたくのひとつです。

【 写真 :ノイバラ 和泉川鍋屋橋際にて 】
北海道から九州までの野原、、山すそ、川原などに見られるバラ科の落葉低木で、ありふれた野生のバラ。 茎はよく枝分れをしてとげがあり、直立または斜めときにつる状に伸びる。葉は互生し,羽状複葉。小葉は7〜9枚、卵形または長楕円形で、長さ2〜5cm。花は5〜6月ごろ、茎頂に咲き花は径2cm内外、花弁は心臓形または倒卵形で普通は白いが、ときに淡紅色のこともある。 果実は球形で、秋から冬にかけて赤く熟して民間薬では営実(えいじつ)といい、フラボン配糖体を含む瀉下(しやげ)薬として1日2〜5gを匙用する。
また、テリハノイバラとともに観賞用のバラの改良のため交雑に用いられ、四国の南部などで大きな白い花の咲くナニワイバラ R.laevigata Michx.(英名 Cherokee rose)は、生垣などに利用されているが所によって野生化している。なお、日本産の野バラにはほかにタカネバラ,サンショウバラ,ハマナス,フジイバラ,ヤマイバラなど10余種がある。 ウエルナーやシューベルトの歌で知られる野バラは紅(くれない)色だが、この白バラだったら少年の心をとらえただろうか。
良く晴れたバードウイーク初日の5月10日(土)、「いずみ新鮮組」の自然観察会に集まったのは親子連れを含む28人。新緑の森や田畑が続く和泉川沿いを、いずみ中央駅から天王の森公園までの往復約7kmをバードウオッチングをしながら歩きました。 また、この日参加したのは28人で親子づれが多く、全員に配られた「バードウィーク和泉川沿いの小鳥図鑑」を手に、小鳥のさえずりや飛んでいる姿を探して双眼鏡で姿と名前を確かめたりしました。木のてっぺんで歌うシジュウカラのツッピー・ツッピー・ツッピー、森のヤブからは、チョットコーイ・チョットコーイと呼ぶのはコジュケイ。そして、空高くさえずるヒバリや群れ飛ぶツバメたち。また流れには増えすぎたコイの背を分けるように泳ぐカルガモたち。呼び物のカワセミは新鮮組に怖れをなしたか見えなかったがレンゲ田の中で開くお弁当は最高でした。
6月3日夜、ビスタワールド主宰は横浜市内の経営者異業種交流会「かしわ会」の依頼を受け、横浜駅前ベイシェラトンホテルでおよそ40名の経営トップに「ヒトから人へ」のテーマで環境月間にちなむ現代人のライフスタイルについて講演しました。地震・雷・火事・親父と言われた前代コワイものから現代コワイもの:SARS・もののけ・放射能への変転を考え、人類発展にブレーキをかける単細胞に近いSARSやHIVウイルスなどが60兆もの細胞からなる人の身体をど侵す新手の脅威や、「もののけ」ともいえる環境ホルモンなど化学物質まみれの暮らしへ警告、発電から核兵器まで拡がる放射能汚染・・・・そうした環境の中で、どのように心愉しい人生を燃焼させるかを熱く語り、ほぼ同年代の聞き手の共感を得ました。
ヒゲを生やしたイラクのドンが「生物化学兵器を作り隠しているから国際平和上ケシカラン」と、自分は国連の反対を無視してケタ違いのミサイルや放射性爆弾や兵力で攻め入り、ドンらを掃討してしまった。 そう憤っていた五月の朝、日本スペシャルオリンピック大会事務局の石田文夫氏から、「アメリカの正義感とイラクやアフガンのイスラミックの価値観の違いを読みとることができるのでは」と、この手紙のコピーを頂いた。そして氏は、世界平和の問題も「弱者と強者」の価値観の違いが根源に存在するとすれば、構造を主張する先進諸国とこれに行動で抵抗を試みる弱者集団がテロと言う方法で抵抗しているのかも知れません。(決してテロを肯定するものではありませんが・・・)と述べておられ、心を打たれました。
さて、肝心の「赤い人の手紙」 は、子々孫々大自然の恵みを受け継いできた原住民の聖なる土地を、銃や大砲の兵力をバックに二束三文で買い上げると言う一方的なワシントン大統領に宛てた痛烈な告発の書でもあります。しかも、「我々が売らなければ、白い人は銃を持って私共の土地を取り上げにくるかも知れませんから」との書き出しで・・・・・・・・ 今まで、赤い人々は、白人の攻略の前にいつも退いて来ました。丁度、山の霧が朝日の前から逃げるように。しかし、我々の先祖の遺骨は聖なるものであり、その墓地も、その丘も、その木々も、我々にとっては聖別されたものなのです。白い人は、我々の生き方を理解しない。・・・・彼らは夜やってくる異邦人のように、その土地から彼らに必要なものを何でも取り上げます。そして征服が終わると次へ移ってゆくのです。彼らは母なる大地や兄弟なる空を、買い取ったり分捕ったりする物のように、また、売り渡す羊や飾り玉のように扱います。彼らの欲望は大地からすべてを収奪し、あとにはただ砂漠を残すだけでしょう。私には分かりません。我々の生き方はあなた方の生き方とは違うのです。白い人の都市の景観は、赤い人の目を痛めます。・・・・白い人の都会には静寂な場所が一つもありません。 春、木の葉のひろがる音を聞き、虫の羽音に耳を傾ける場所などありません。・・・・・・インディアンは、むしろ、池の上を走る風の優しい音や昼間の雨に清められたロッキー松の香りを運ぶ、その風そのものを大切にするのです。赤い人にとって大気はかけがえのないものです。だって、すべての存在が――動物も植物も人間も――その同じ息吹を分かち合っているではありませんか。みんな同じ息吹を分かち合っているのですよ。白い人は自分の吸う大気に気付いていないように思われます。長い間死んでいる人のように、彼は、悪臭の気に無感覚です。しかし、我々が我々の土地を売るようになる場合も、あなた方は、大気が実にかけがえのないものであること、大気は、それが支えているすべての生きものと、大気の霊を分かち合っているのだということを決して忘れないで下さい。我々の祖父に、その最初の息を与えた風は、彼の最期の吐息を受け取ります。そして風は、我々の子供達に、そのいのちの霊を与えねばなりません。もし、我々の土地をあなた方におるようになる場合、あなた方は、この土地を、白い人にとっても、野の花々の甘さを運ぶ風を味わいに行ける場所として区別し、聖なる土地として保って下さい。我々の土地を買いたい、という申し出を考慮しますが、それを受諾する一つの条件を提示します。 それは、”白い人々がこの土地の動物達と、自分達の兄弟として交わる”ということです。私は野蛮で、他の生き方を理解しません。私は牧草地で、千頭もの腐敗している野牛を見ました。通りすがりの列車から、白人達が射殺した野牛達です。私は野蛮人です。我々がただ生命を支えるためにだけ殺す野牛より、何故、煙を吐く鉄の馬のほうが大切であり得るのかわかりません。動物達に起こることは、間もなく人間達にも起こるのです。すべての存在は結び合っています。・・・・(中略)最後の赤い人が地上から消え、彼の記憶が牧草地を通り過ぎる雲の影のようになった時でも、あの浜辺たちや森たちは私の民の霊を保っていることでしょう。何故って、彼らは、生まれ出た赤子が母親の心臓の鼓動を愛するように、この大地を愛していたからです。だから、もし我々が我々の土地をあなた方に売るなら、我々がこの土地を愛したように愛してやって下さい。 あなた方がそれを取り上げた時、そのままの土地のすがたを心に刻んで下さい。すべての思いを以て、すべての心を以て、あなた方の子供達のために、そのまま保存して下さい。そして、その土地を愛して下さい。・・・・神様が私共みんなを愛し給うように!ただ一つの事を我々は知っています。されは、我々の神は同じ神だという事を、大地は彼にとってかけがえのないものだということを、白人でさえ、共通の運命から除外されてはおりません。とどのつまり、我々は兄弟でありうるのです。今にわかるでしょう。 〔訳者:押田成人〕
150年前のこの手紙の年、安政元年、アメリカのペリーは黒船9隻を率いて横浜村に上陸し、「日米和親条約」を締結したが、この国の脅迫的な正義感が今も変わっていないばかりか、アラブ侵攻で見せた自分勝手な行為と照らして、神の裁断まで変えることはできますまい。
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2003(H15)年 5 月 31日号
だれかに「サガルマータ」と訊ねて、反応が「?」だったら「チョモランマ」と言い替えると、エヴェレストの名にたどり着くだろう。標高8,850mの世界最高峰は、1953年5月29日にイギリスのエドモンド・ヒラリー卿とガイドのテンジン・ノルゲイによってネパール側から初登頂されてから今年でちょうど50年を迎えた、計1226人が延べ1502回の登頂に成功したという。先日現地カトマンズでの記念行事では、初登頂者のヒラリー卿や田部井淳子さんらを迎えた式典のほか、最近クローズアップされている「ヒマラヤのゴミ問題」への取り組みもあったと伝えられた。古来、山は尊いもの=霊峰=であり、そこから望むすべては神の領域で冒し難いものだったが、この半世紀でルートも確立し、登山の用具も進歩して「最もポピュラーな8000メートル峰」と言われるほどになった反面、挑戦者らが放置したテントやボンベなどの装具の散乱が深刻な環境問題になってきた。しかし、ただテッペンに登りたいだけの連中には、対象の山が「神々の座」であること自体が常識の外であった。ひるがえって、自然との融合と協調をベースにした真の男子教育プログラム「ボーイスカウト運動」と女性教育プログラム「ガールガイド運動」を提唱し、伝え広めた創始者ベーデン-パウエル卿の真髄が、いま特に日本で、サガルマータと同様な乱入と汚染の目に遭っている。ボーイスカウトにおいては、子どもたちの興味や好奇心を喚起できないリーダーに実技を省いて講義だけで伝える指導者訓練。 また、「だれのため何のための運動」か問うても、少年たちのための活動=スカウティング フォァ ボーイズ=Scouting for Boys=だと気がつかない組織の指導者たちが大手を振っている異常な異状。最高ランクの「富士スカウト」に、創始者の著書を知っているかと訊ねても、アッケラカンと「知りません」と応じる驚きの日常化。ひょっとすると、「スカウト運動」の真髄や方法も創始者の名を訊ねても「??」のような、スカウトのユニフォームを着ながら中身を偽ったインベーダーが入り込む大変な時代が来るかも知れない。また、アダルトリソーシスとか団混乱コミッショナーの配置とか、オチコボレ無し富士スカウト進級プロジェクトとか・・・・そんな旋風が創始者と先人の踏み跡を荒らし、日本独自のスカウティングを絶やそうとしているのに、警鐘が理解できない役員たち。そこで、自分はスカウトだ、スカウティングの実践者だと心身のコンパスを創始者の教義に合わせ、佛弟子が本尊の教義を実践行で代々継いできたように、最近では特に好んでユニフォームを着てスカウトたちの集会に出るようにしている。そして、リーダーたちが敬遠する歌や自然でのゲームを伝えながらスカウト人生50余年の楽しさを示しているが、わがスカウティングのサガルマータは、まだまだコルにも達していない。